ギャラリー杜の音 コラム⑪

「新しい親孝行」とは。

 

小津安二郎監督の名作「東京物語」は私の好きな映画のひとつですが、大阪志郎扮する息子(周吉の三男)が亡き母の法要で「孝行したいときに親はなし、されど墓に布団は着せられず」と泣くシーンがありますが、私は何度見てもこの場面で泣くはめになります。

取り立てて、親不孝をした覚えはないのですが…

実際にその昔(1980年頃)70代で亡くなる方が多かったような時代では、そのとき子どもは40代中盤。働き盛りで仕事に忙しく、子どもは10代学生なのでまだ手がかかり、親まで気が回らないという状況だったでしょう。しかし、仕事や子育てが一段落して、親孝行をする余裕がでてきた時には、もう親はこの世にいない…。まさに「何の孝行もできなかった」と実感した人が多かった時代だと思います。

2021年の「簡易生命表」(厚生労働省)によると、65歳男性の平均余命は19.85年、女性は24.73年。“高齢者”となった親は男性で85歳、女性で90歳近くまで生きることになります。もちろん、これは平均ですから、それ以上の長寿も十分に想定されます。つまり、超高齢社会は「親孝行したいときに親はいる」時代であるということです。

 超高齢社会は高齢者に対して「長い高齢期をどう生きるか」という問いを投げかけていますが、同時に子ども世代に対しても「親にどのような孝行をすべきか」を考えさせているといえるでしょう。親孝行といっても、経済的な支援ではありません。現在多くの場合、親の方が経済的に豊かだからです。令和4年6月14日、令和4年版の高齢社会白書が閣議決定されました。「高齢社会白書」では、60歳以上のうち、「経済的に全く心配なく暮らしている」が約20%、「それほど心配なく暮らしている」が54%で、合わせて74%の高齢者が「経済的に心配なく暮らしている」事が分かります。また、「収入より支出が多くなり、これまでの預貯金を切り崩して賄うことがありますか」という質問に対し、「ほどんどない」「全くない」を合わせるとおよそ52%、「時々ある」が35%弱で高齢者の多くが預貯金をそんなに取り崩すことなく暮らしています。

 親孝行は介護でもありません。そもそも、高齢者のうち「要介護認定(年齢層別)」を受けている人の割合は13.4%程度(75~80歳の場合)に過ぎず、多くは自立して暮らしておられます。(80~85歳の場合は28.45%)また、「介護が必要になった場合には、子に頼みたい」と考える人の割合も、男性12%、女性31%ですから、「子どもに迷惑をかけたくない」というのが多くの高齢者の本心なのでしょう。親と離れて住んでいる人が多いでしょうから、介護は物理的に難しいという問題もあります。

郊外の一戸建てで、周りに人がいない。都心のマンションに住んでいるが世代の違いもあって、ほとんど交流がない。そんな環境にいる高齢者がどんどん増えています。

孤独が健康や命に与える悪影響は、タバコなどのよくない生活習慣よりはるかに大きいという調査報告もありますし、体調の急変や自宅内事故の際にも助けも期待できません。

何より孤独な環境では、現役時代に頑張ってようやく手に入れた20年もの長い高齢期を楽しむことができません。

 それなのに、親世代には我慢したりあるいは諦めたりして、孤独に耐えている人がとても多くいます。日本が貧しかった頃の「贅沢は敵」「質素倹約」といったパラダイム(物の見方や捉え方)が残っている影響もあるのでしょう。

 人はさまざまなムラ社会(共同体)に属しながら人生を送ります。子供のころの家庭・学校地域、社会に出れば職場の仲間や会社組織、結婚すれば両家の家族など、色々な人とのつながりの中で役割を持ち、助け合いながら生きるのです。ところが、高齢期になると、このようなムラ社会(共同体)を全て失い、人との繋がりを持たずに暮らす人が増えてしまいます。

 そんな孤独な環境にいる親を放置せず、人がいて繋がりを持てる高齢期にふさわしいムラ社会(共同体)への参加を促すこと。これが、超高齢社会における親孝行ではないでしょうか。

 高齢世代はインターネットにあまり強くないことも含めて、情報不足になりがちです。行政の広報誌や地域の回覧板に、全てが分かりやすく掲載されているわけでもありません。住まいに不便や不安を感じて環境を変えたいと思っても、選択肢が多かったり、手続きが複雑に見えたりすると、考えるのも面倒になって、「まあ、いいや」と我慢や先送りをしがちです。

 そんな状況にある親世代に対して、どのような新しいムラ社会(共同体)があるか、参加できるコミュニティーがあるかという情報を収集、提供する。そして、その気はあっても踏ん張りのつかない親たちの背中を押してあげる。「お金もあって、元気な親」に対する孝行とは、「孤独な環境からの脱出を促すこと」ではないかと考えます。

 そこで、一つの選択肢の中で住宅型有料老人ホームは、元気なうちに自分で検討し入居する。若い時に頑張った人たちがいる、ある意味絶妙な距離感で集住を楽しむ長屋文化もある事を知ってほしいのです。

文責:千葉政美